【 サムライの妻 vol.3 】細川ガラシャに学ぶ士業妻像~生き方の知恵~

武士の妻など先人について、独断と偏見で勝手な解釈をしながら、士業妻として学べる生き方の知恵をご紹介しています。

サムライの妻 vol.3 細川ガラシャ夫人



1563(?)~1600年
明智光秀の娘、三女。細川忠興の妻。
ガラシャはキリスト教の洗礼を受けた後の名前。本名は、玉子。

織田信長のすすめで細川家に嫁ぎ、本能寺の変後は、謀反人の娘として都を追われます。味土野という場所で2年間の幽閉生活を送りました。秀吉の取り成しで大阪に戻った後、キリスト教の洗礼を受けます。「関ヶ原の戦い」の直前、夫忠興が徳川側についたため、石田三成が大阪に住んでいた大名の妻子を人質に取ろうとした際に、死をもって抵抗したことでも有名です。

私がガラシャから学んだこと

1)好奇心旺盛であること
2)自分の気持ちを表現する方法を知ること
3)心置きなく話せる仲間を持つこと

この3つのポイントを参考にした士業妻にできる行動は?

1)好奇心旺盛であること

父 明智光秀は、刀だけでなく書物もよく読み、詩文も嗜む人柄。母 煕子は慎ましい女性といわれています。その娘だからか、知的探究心が旺盛だったようです。

幼少期から仏典や漢籍に詳しかったそうで、それがキリスト教への興味にもつながり、ラテン語も勉強し、原文を読むことはもちろん、話せる程度にまで習得できていたと言われていますから驚きです。

士業妻も仕事のし始めは、何をどんなふうに習得したらよいか分からないかもしれません。それでも小さな仕事を積み重ねるうちに、自分の知的好奇心を刺激しながら考えて動けるようになるといいでしょう。仕事を早く覚えられますし、職場での信頼関係にもつながるでしょう。

2)自分の気持ちを表現する方法を知ること

謀反人の娘として味土野で暮らしていた間、誰にも言えない気持ちを歌にして詠んでいました。また、今とは比較できないほど、女性の言動は制限があった時代でしたが誰に対しても率直なものの言い方をしたと言われています。

士業妻も行き場のない想いや伝えたいのに伝えられないもどかしさが募るとこともあるでしょう。そうしたとき、自分自身で感情を整理する方法、もしくは、夫や家族に伝える方法など、自分なりの表現の仕方を持てると良いのではないでしょうか。

3)心置きなく話せる仲間を持つこと

清原いと(マリア)が侍女になったのは、ガラシャ本人が決めたことではないかもしれないですが、心を通わすことができる仲間を持てるのは、心強いことです。士業妻も積極的に仲間を作ってみましょう。
ときには、自分の気持ちや考えを再認識する必要もあります。また、他の人はこんなときどのようにしているのか知ることもできます。同じ興味や価値観、似たような境遇にいる女性などと出逢い、仲間と共有したり、一緒に成長できるといいですね。

おわりに

夫婦仲が良かったとも悪かったとも言われる細川忠興・ガラシャ夫妻が、実際はどうだったのでしょうか。現代人が驚くほど、当時の日本人はとても気性が激しかったそうで、忠興の偏愛振りは周囲も呆れるほどだったとか。

ガラシャに対する個人的な印象は、大きなしがらみにも負けず、自分の意志を貫いた女性というイメージです。
時世の句にも表現されています。

散りぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ

ガラシャ夫人の母も魅力的なので、またご紹介したいと思います。

私が読んだ本
細川ガラシャ夫人〈上巻〉著:三浦綾子 (新潮文庫)
細川ガラシャ夫人〈下巻〉著:三浦綾子 (新潮文庫)
故郷忘じがたく候より「胡桃と酒」 著:司馬遼太郎(文春文庫)
細川ガラシャ―信仰をつらぬいた戦国の貴婦人 著:小和田哲男(ミネルヴァ書房)